頑張れニッポン!
本日早朝ロンドンオリンピックが閉幕しました。メダルを取った選手も取らなかった選手も感動をありがとう。
夏季休暇中本棚を整理してたら出てきました。5年前の話なんですが5年後に知った日本人で一番凄い人(鉄道模型の世界ですが?)鳥肌が立ちました。2007年9月13日号NO6講談社Nゲージジオラマ製作マガジン昭和の「鉄道模型」をつくるです。これの中の記事に今週の達人原慎太郎さんの記事が掲載されていました。シャングリ・ラ鉄道でした。当時は凄いな程度であまり気にはしませんでした。そして5年後に横浜に原鉄道模型博物館を設立しました。オープン3日目に行ってまた驚き当時の掲載されていたシャングリ・ラ鉄道多分同じ写真だと思ういますが、大きな壁いっぱいに貼ってありました。これを見て記憶が思い出されました。博物館を見てやっぱりすさまじさの凄さでした。
そんな凄さの中で比較には全くなりませんが、我が湘南急行鉄道物語も2007年NO5に掲載されていました。そしてNO6に原慎太郎さんの記事でした。こんな光栄なことはありません。
原さんは93歳と言うご高齢ですが一生を鉄道模型に魂を注いだすごい人なんです。高級住宅街として、ツトに知られた芦屋市にある邸宅内には、鉄道模型線路網の部屋(100畳!)があり、これを、オリエント急行の客車を模した小部屋の操縦席から見下ろして、日なが運転を楽しむという、夢のような生活を送っている方です。
今で言うセレブなんです。裕福で幼少時代から海外の鉄道模型を買ってもらってからは独学で鉄道模型の原点を開発したんです。
裕福だけど鉄道模型の原点からの発想が裕福だろうが裕福でなかろうとすごい事なんです。
僕も子供の頃から鉄道模型が好きでOゲージとかHOゲージを楽しんでいましたが家が貧乏でそんな鉄道模型は縁がなかったです。初めて亡きお袋と有名なピノチオ模型店でHOゲージのBタンクロコを買ってもらった時は昨日のように覚えています。それでも4500円ぐらいだったかな当時はえらい高いものでした。雨どい一枚でエンドレスのレールを敷いて楽しんでいた時代です。
高校時代は陸上競技にいそしみ、会社に入ってからは車に興味を持ち鉄道模型はしばらく忘れてました。会社ではサッカークラブ、野球部で青春を謳歌してました。足だけは速かったんです。
そして当時はNゲージと鉄道模型が関水金属より初めて発売されていました。HOゲージは縮尺1/87.1 (3.5mmスケール) ・軌間16.5mmの鉄道模型でしたがNゲージは150分の一でサイズで軌間9mmなんでナインです。それでNゲージと呼ばれています。
そんなわけでNゲージを続けています。人生色々!
シャングリ・ラ鉄道の全貌
2007年9月13日号NO6講談社Nゲージジオラマ製作マガジン昭和の「鉄道模型」をつくるで掲載されていた記事です。博物館にはこれが壁いっぱいに
これは皆原さんの手作り
集電は架線とパンタグラフから取ってます。
特別展示室に展示されてました。半田を一切使わずビスで組み立てたそうです。
続きもあります。